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秋です

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実りの秋をいけてみました。 花と野菜たちです。近くの遊歩道に毎年、毬栗が落ちているのですが、今年はみつけられませんでした。あったらアレンジの中にと思ったのですが・・・・
鶏頭に竜胆に葡萄に、隠れてしまったけどピーマンにミニトマト。 秋は豊かです。
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葡萄

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2009年から韮崎に移住した友人から葡萄をいっぱいもらったので葡萄ジャムを作ってみた。初体験。葡萄そのものの甘みが強いので、砂糖は小さじ1、気持ちいれたが濃厚すぎるほどのジャムができた。ジャムほどかためないでその手前で火をとめたからトロリとしたかたさ。せっせと作ってるヨーグルト(といっても牛乳温めて種菌のヨーグルトいれてスイッチポン)にまぜて食べたかったのでトロリジャムにした。とても美味である。この友人は高校の同級だが、還暦すぎて横浜を離れ、韮崎に古民家と荒れ地を買った。それからすべて手作り。びっくりするような器用さで、あれよあれよと思ううちに大邸宅と大庭園ができあがった。うそだと思う人彼女夫婦のブログ見ておくれです。http://abiru-goninhyakusyo.blogspot.jp/移住直後の様子をぜひごらんください。そして今です。
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こじんまりしたブーケだけど

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9月も後半に入ったのにまだまだ昼間は暑い。涼しそうでいい色と思ってこのブーケ作ったけど、2日ほど見てたら、なんかちょっと寂しそうと思えてきた。やはり秋なのかなあ!!秋色のアレンジを飾りたいと思った。でもこの花は1週間は保つから、うすくなっていく夏の感触でも楽しもう。富岡多恵子のずいぶん昔のだけど『歌・言葉・日本人』という本に、ひとは階級をつくるのが好きであるというフレーズがあった。詩も階級があり音楽も階級がある。時代や人が作った階級だけど。無意識にどこかで洗脳されている自分がいる。本当に好きなものをきちんと見る目がほしい。欲ばりだけどすべてにおいて。
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『K』という本

 三木卓の『K』を読んだ。Kなるキャラのおかしさとそれに対応する作者の動きがこれまたおかしくて一気に読んでしまった。おかしさというか哀しさである。三木は死んだ妻Kを(うちの母ちゃん)とか(女房)という風には書けないという。それは共同生活者だが自分を立ち入らせないとこがあるからよく分からない、それで「ぼくは困った」といっているけど、どうして?誰とも共有できない深く閉ざされたものは誰だって持っているだろうし、それにお互いあまり考えていることが分かってしまったら一緒になんて住めない。分かるなんて幻想だよと思ったが、Kの場合そんなレベルではないことがすぐ分かる。いっしょに住み始めて最初の事件が起きる。お風呂、今夜わかしといてくれないかと言って夫は出勤。そして戻ってくると家は真っ暗で置き手紙。Kは友だちの家に家出中。友だちは、Kがお風呂わかしたことがないのかもと言うけど夫は理解できない。それはそうでしょう。それで、もしかしてだけど男性って夫の立場になったとき、なんていうか、いばってるわけでもないが、当然といった物言いをする傾向があるから、そんなところで傷ついたのかもしれない。普通一般の女子なら、そんな気配を感じてもそんなものかと思い、このやろうと思っても、家出するまでの強い動機にはたぶんならない(私も耐え忍ぶ?)。
 Kは詩人の福井桂子。夫の三木は彼女の詩集を出し、生活費はちゃんと渡し、育児に関しても言いたい事をぐっと我慢をして、なかなかよくできた夫だ。それなのにある日電話でKは「あなたに家へ帰ってきてほしくないの」という。もちろん不倫とかではない。理由にならないような理由はあるが、ここまでくると普通の夫なら怒るだろう。しかし三木は彼女のいうとおりに振る舞う。このあたりのかけひきはおもしろい。お年とりの晩だけは帰るがこれもKからの要望。三木は、「Kは詩人として自らを立たせることを望んだ。そうなるためには、この家で自分のしたいようにふるまえることがなんといっても、大切」と書いている。なんだか理解できるだけに、書くという事はつくづく難儀なことだと思う。
  Kは第一詩集のあとがき(一部)にこう書いている。
「わたしたちのひとしく生を受けているこの時代に、もしもわたし自身の感受していることを完璧に表現しおおす詩、詩人をもつことができるなら、怠惰なわたしはけっして自分で詩を書こうとはしないでしょう。ほんとうに、わたしはそのような詩また詩集をもったと思えたとき、二七歳のころ詩を書くのをしぜんにやめました。しかし日々の営みのなかで、わたしはわたしでしかないというおそろしく単純なことに、再び気づかなければなりませんでした。そしてまたぼそぼそと、詩を書きだしました。」
 詩人気質の強いKの愛すべき性格と困ったチャンの振る舞い、それを見る三木の冷静な目が、この本を生き生きとおもしろくさせている。
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秋らしく

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ゲーラックス30枚を2枚重ねで△の形をとり割鋲でとめてまわりを作りました。それからワイヤーを通して丸くして、やはりワイヤーで持ち手を作り、その中に花を。器はコストコで買ったワインタンブラー。ちょっと高めだったけど、昨日ダイソーに行ったら似たようなタンブラー100円で売ってた。もちろん薄かったが十分という感じ。それにしても100円ショップの品揃いのすごさ、でも糊はだめだったという経験あり。それでもまずは100円ショップをチェックですね。
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いとこ

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暑いのでほっぽらかしにしていたら、巨大キューリになっていた。オクラなどは7本ばかりキューリほどの大きさに。今年は日光皮膚炎になってしまい、目のまわりが腫れてその上かゆいという最悪な夏。それで収穫もままならず、いとこに任せている。それでも今日は早起きしたのでミニトマトをせっせと収穫。ご近所三軒おすそわけ。そのときに見つけた。いとこは、皮膚が丈夫なのか蚊鳥線香など不必要。蚊にくわれても跡すら残らない。「シミなくていいね!」と言ったとき「顔全体がシミだからね」って言って笑ってたけど(それほど色黒ではないけどね)、昨年だったか夫に「顔になんかついてるよ」って言われて、それがシミの第一号だったそうな。今年はもう一個増えていた。私も「どうしたの」なんて聞いたりしちゃって。パンチパーマで太陽の下平気で歩いているからうらやましい。
   
    いとこ
 木の雨戸
 板がところどころ反り返っていたけど
 いつだったか
 親のいないとき
 雨戸はずして
 ピンポンよくしたねといったら
 そんなこと知らないといわれた
 球がとんでもない方向にとんでいってさ
 それでも知らないといわれた
 親のいないとき
 白菜のつけものぺらぺらのまま食べた
 あんた 桶からだしてきて
 といわれてもあたしはちっとも覚えていない
 親のいないときはうれしかった
 あんたもあたしも親がきらいきらいだし
 いつだって薄ねずみ色していてさ
 えっ なにって
 青みがかった薄ねずみ色でさ
 雨がふると道どろどろとけちゃってさ
 いやだね
 手のなかにあるものはみんなやわらかくなってしまって
 そのうちおなかもふくらんできて
 楽しかったね 親のいないときって
 遊び時間はこうして過ぎていった
 死ぬなよ
 えっ なんていったの
 あしたあさっては紫外線多いんだって
           (『4B』2号より)
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エッセイ10

 あの世とこの世の境界を生きる
                  水野るり子



〔九七〕飯豊(いひで)の菊池松之丞という人傷寒を病み、度々息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎいかんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛上がり、凡そ人の頭ほどの所を次第に前下りに行き、又少し力を入るれば昇ること始めの如し。何とも云われず快し。
 この松之丞という人は傷寒(腸チフス)にかかり、死にかけたとき、肉体を離れ、魂だけになって、菩提寺のキセイ院(喜清院)へと向かう。普通に歩くのではなく意志の力で、足に力を入れて飛び上がり、飛び上がりして空中を飛んで行ったようだ。(私もこのような飛行の夢を見たことがあるが、目が覚めたとき疲労困憊状態だった。無意識をフル稼働するということは大変なことらしい)。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつヽ門を入れば、紅の芥子の花咲満ち、見渡す限も知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前も来たのかと云う。これに何か返事をしながら猶行くに、以前失ひたる男の子居りて、トッチャお前も来たかという。お前はここに居たのかと言ひつヽ近よらんとすれば、今来てはいけないと云ふ。
 境内には芥子の花が満開で、そこはもう他界のようだ。魂は病んだ肉体を離れてあの世の入り口へとさまよっていったのだろうか。そこには亡き父や息子がいて彼に声をかけ、私たちが夢の中で見る亡き人との再会の場面のような懐かしさがある。しかし死んだ息子は近寄ってはいけないと父を制止する。触れてしまえば死の世界に入るからだろうか。此時門の辺にて騒しく我名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限なけれど、拠(よんどころ)なければ心も重くいやいやながら引き返したりと思へば正気付きたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎて喚生かしたるなり。
 門のあたりで自分の名をさかんに呼んでいたのは、耳もとで呼ぶ親族の声だったらしい。こうしてこの人はあの世への道から引きもどされた。菩提寺というのはまさしくあの世への入り口でもあった。ただそこには悲壮感はなく、極楽に近い明るいイメージがある。遠野物語には魂の話がよく出てくる。死後に幽霊のように現れるもの、逆に死の前に人々の前に現れるものなど…。人々はそれに気づいて、その人の死が近いことを知る。魂というものや、あの世というところへの、今とは違う感覚がある。次の話など、今の時代から見るとまるでファンタジー作品のようであった。ある日仲間の者と共に吉利吉里より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のある所にて一人の女と逢う。見ればわが妻なり。されどもかかる夜中にひとりこの辺に来べき道理なければ、必定化物ならんと思ひ定め、やにはに魚切り包丁を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。
 その後の成り行きは仲間に見届けてもらうことして、家に帰ってみると、妻が言うには「恐ろしい夢を見ました。あまりに帰りが遅いので、夢で途中まで見に出たら、山道で何とも知れぬ者に脅されて、命を取られると思い目が覚めました」とのこと。それをきいて、夫が再びさっきの場所に引き返してみると、刺された妻は、連れの者の目の前でみるみる一匹の狐にな
ったという。夢の野山を行くときに、こうした獣の身を雇うことがあるらしい…と書かれている。妻は狐の身を借りて夢の中へ夫を探しに行くのだが、夫はその妻を旅の途上で実際に見かけて刺してしまう。(夢と現実がひとつに重なっている)。しかし刺された妻は無事で、雇われていた狐の方が死んでいる。これは夢と現実が入り組み、差し違えたようなあやしい話である。
 このように遠野物語の中では、人々が日常的に親しく生死に関わっていたように思える。生は絶えず死へと組み込まれ、死は生へと呼び戻される。そこから人々は多くの物語を紡ぎだす。人々は野に生きる自然のものたちのように、その背中はつねに死と接している。生まれ変わりの話も多い。死んでから生まれるまでの期間が短いのは慶事だという。また土葬した墓場に樹木が生えてくれば「墓の主は何処かに生まれ変わったのだ」といわれる。拾遺〔二四五〕
 こういう話に触れていると遠野物語のなかの人々の死生観のようなものが、それとなく伝わってくる気がする。ちょっと前までの日本人には親しい感性だったかもしれない。それは一種の諦念にも通じるようだし、死と生を通底する大きな流れに、自然の一部として身をゆだねているような感性であるかもしれない。自然と共生しているような生き方であれば、個の一回性…というような死生観とはちょっと違うものであろう。
 先年遠野を訪れ、秋の空の下でデンデラ野を歩いた。そこはかつての(姥捨て山)といわれた場所である。人々は六十歳になるとそこに暮らさなければならなかった。ちょっとした細道をひょろひょろ上ると、ススキや雑草の茂った高みがあり、木立の陰にかまどなど炊事の跡も遺っている。古いあずまやもある。振り返ると(呼べば届くほどの)目の下に村落が見える。老人たちはこの丘に寝起きして、口を糊するために、昼は村へ降りて働き、夕べには寝に帰ったのだろうか。想像していた奥山の姥捨てとはあまりに違うこの生と死の接する距離の近さ、そのあっけらかんとしたたたずまいに言葉が出ない。この世の生き死にとは、本来このようなものであるかもしれないとは思いながら。
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エッセイ9

  トヨとサダ    坂多瑩子

 『遠野物語』には山人がよく出てくる。不思議な存在だ。「山女」に「山男」。山女は名前や生家やその親戚筋など、記録として残っている者はいるが、山男のほうは「あの山男はうちの甥で」と名乗り出ているような家はない。それにどちらかというと、背高く目がギラギラしていて色はちょっと違って、という外見の描写止り程度が多い。でも山男の子どもは育たないといいたいのか、六話七話では子どもを食べちゃう『ジャックと豆の木』の人食い鬼のような山男も出てきて興味深いが、今回は「山女」として生きたトヨとサダについて考えてみた。
三 山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛と云う人は今も七十余にて生存せり。此翁、若かりし頃猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りて居たり。顔の色極めて白し。不敵の男なれば直ちに銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。其処に駆け付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも長かりき。後の験にせばやと思ひて其髪をいささか切り取り、之を綰ねて懐に入れ、やがて家路に向ひしに、道の程にて耐え難く睡眠を催しければ、暫く物蔭に立寄りてまどろみたり。其間夢と現との境のやうなる時に、是も丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立去ると見れば忽ち睡は覚めたり。山男なるべしと云へり。
 とても幻想的。長い黒髪を梳っている色の白い美しい女が岩に腰かけている、ほれぼれとする日本画を見ているようだ。しかしなぜ鉄砲で撃たなければならないのか。男をたぶらかす妖怪の類いと勘違いしたのか。不敵な男と誉められている嘉兵衛。後半はもっと摩訶不思議な展開である。女の黒髪を切るとこまではいいとして、狐でも物の怪でもない人間の遺体を見たあとで眠くなる?大量の血だって流れていたかも?と思うと、やはり山男は魔術でも使うのか?しかしここでは現実的なことは書かれていない。だから妄想を膨らますのだが、実際起きた事件である。撃たれた女は*トヨという実在者。トヨの人生をみると哀しい。トヨが嫁いだ古屋敷長兵衛は遊郭通いの女狂い。トヨは精神に異常をきたして離縁される。二十二話で佐々木喜善の曾祖母の通夜の様子が書かれているが死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき。この婦人がトヨである。この曾祖母ミチは娘の狂気を気に病んで鴨居で首をつって死んだとも云われている。ほどなくしてトヨも病死する。当時は土葬で、暦の日柄によってはすぐ葬式ということもあり、埋められたあと百人に二、三人は生き返りがあったという。というか、死んだという確認も素人がする場合があるから間違えだって当然起る。実際棺の上に手を突き出している遺体もあったというから恐ろしい。それで蓋をするときは、一カ所穴をあけて、竹の節をくりぬいた空竹を土中に差し込んでおいた。ただし一度死んだ者として処理された場合は、行き場は山しかなかったらしい。トヨも生き返って山に入ったのか。事実はどうあれトヨは山姥のような山女になるまえに鉄砲で撃たれて死んだ。この話が老いさらばえて髪ぼうぼうの垢だらけの女が岩に腰かけていたとしたらどんな印象を受けるのだろうか。
 トヨは受け身の状態で「山女」になってしまったが、自ら「山女」の道を選んだ者もいる(と思う)。八話にあるサムトの婆の場合は、黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ・・・・若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなりとある。誘拐か自らの覚悟の家出か、意見は分かれるだろうが、私は自分の意志であったと思いたい。サムトの婆と呼ばれたこの女はサダという名前であった。トヨもサダも名家出身である。サダは幼心に大人達の噂話に耳を傾け、自分の決められた人生に疑問をもっていたのではないか(と思う)。一般に女は家事、育児、婚家先での人間関係それに男と同じ重労働が課せられる。サダは他の女達と違っていたと思うが、自由な生き方は無理である。遠野の気候や地形を考えると、山の中で生活する知恵や技は幼いうちから教えられていたであろう。だからサダは山の恐怖や村共同体を出る悲壮感より、むしろ自由という希望にかけて山に入ったのでは、と勝手な妄想だが、彼女は村の習慣や掟に対して、神隠しにあうという衣を着て反抗したのではないか(と思う)。サダは生きのびて三十年後に実家にあらわれる。老いさらぼひて・・・人々に逢ひたかりし故帰りしなり。佐々木喜善の『東奥異聞』によるとそれから毎年帰ってきたが、そのたびに大風雨があるので村人からクレームがついた。実家では仕方なく(そうあってほしい)山伏などの法者に道切りの法をかけてもらう。サダは、それから帰ってはこなかった。なぜ三十年もたってあらわれたのか。もしもだけど、サダは山男の一人と暮らしていた。頭のいいサダのことだから(そうでしょう、知恵があったから三十年も生き延びてこられた)生活はそれなりに充実していたかもしれない。でもそのつれあいにも死なれてしまった。だから寂しさゆえにふと生まれ育った家や親族が恋しくなったのではないか。
 そんなことを思いながら、闇に消えた女達をもう少し知りたいと思った。
*佐々木喜善の祖父萬蔵の妹で弘化頃の生まれ(出生の年月 
 は戸籍にはない)
*参考資料『山深き遠野の里の物語せよ』菊地照雄 梟社 
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エッセイ8

   幻のサクランボ農園

                   佐藤真里子

  六四 金沢村(※かねさはむら)は白(しろ)望(み)の麓、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。六、七年前この村より栃内村の山崎なる其かかが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷ひ、またこのマヨヒガに行き当たりぬ。家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとするところのやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるやうにも思はれたり。茫然として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してつひに小国(をぐに)の村里に出でたり。小国にてはこの話を聞きて実(まこと)とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来たり長者にならんとて、婿殿を先に立てて人あまたこれを求めて山の奥に入り、ここに門ありきといふ処に来たれども、眼にかかるものもなくむなしく帰り来たりぬ。その婿もつひに金持ちになりたりといふことを聞かず。(注 上閉伊郡金沢村)

 東北の寒村に生まれ、小学校に入学するまでは、そこに住んでいたせいか、子供の頃にはこのマヨヒガによく似た大人の体験話を耳にした。マヨヒガに行き当たった者が、再び訪れようと、どんなに探しても、二度とは見つからないということが、どの話にも共通している。子供だったわたしは、その話を本当の事として信じていた。怖いけれど、探し当てたいと思った。この六四番の話にあるような、欲深い気持ちからというよりは、自分が生きている世界の他にも別な世界があり、マヨヒガはその境界、入口のような気がしたからだ。子供時代は、現実が厳しかったので、別の世界を望んでいた。大人になったいまは、この世界が不平等に満ちていることを痛感するたびに、マヨヒガの存在を思うようになった。この世だけがすべてなら、余りにも酷い現実が山ほどある。マヨヒガは、別な世界の境界、入口なのだと、いまも信じたい。
 あのサクランボ農園は、マヨヒガのような異界との境界、入口として、現実と交差していたのだろうか。4年前、母を亡くしたばかりの従妹を慰めようと、サクランボ狩りに誘ったときだった。従妹とは子供の頃に、長く一緒に暮らした時期があり、思い出話が尽きなかった。おしゃべりをしながらも、同じ場所を何度も歩きまわっていることに気がつく。新聞広告で知り初めて行くサクランボ農園には、なかなか辿り着けなくて、諦めかけていたから、奇跡のように突然に現れた、地味で粗末な看板を見つけたときは嬉しかった。矢印の示す方へとわたしたちは進んだ。通りから少し入った小道が、急に、深い山奥の道になって、何か異質の濃密な空気が流れていた。さほど歩かないうちに、サクランボ農園に着いた。周囲の景色が見えないほど、サクランボの樹がいっぱいで、とても広い農園だと思われた。入口には、賽銭箱のような半ば朽ちかけた木箱があり、たぶん、そうだと思い、サクランボ狩りの入園料のつもりで、そこにお金を入れた。無人であることが、不用心というよりは、むしろ不気味に思われた。そんな不安も、すぐに消えたのは、なかに足を踏み入れると、楽園のような眺めが広がっていたからだ。どの樹にも、枝が折れるくらいに、サクランボがたわわに実り、まるで、咲く花のようなつぶつぶの小さなあかりが、樹という樹に灯されていた。大好きなアメリカンチェリーもある。他にも知らない品種がいくつかあり、それぞれが魅力的な甘さだった。わたしは従妹といっしょに来ていることも忘れて、独りで勝手にあちこちの樹をめぐり歩く。満腹感を無視し、夕暮れが迫っているのも気にせずに、次から次へと、摘んでは口に運んでいる。やがて従妹が近くに来て、もう、そろそろ…と、声をかけるまで、果物好きで、しかも食いしん坊のわたしは、止めることを知らなかった。帰ろうかというときになって、なんとなく辺りの様子が不自然であることに気がつく。あちこちに、摘みとるために上る脚立があり、収穫したサクランボを入れる容器が積まれているし、なかには、サクランボが入っている容器もある。ここで、作業をしている人が、何人かいるような感じなのに、姿が見えない。辺りは、夕暮れどきになっていた。ついに、人の姿を見ることはなかった。ただ、誰かがいるような、生温い気配だけが漂うサクランボ農園を、わたしたちは、そっと、立ち去った。次の週に、もう一度、行ってみたが、この辺りと思う場所には、あの地味で粗末な看板は無かった。試しに入ってみた小道も、どんなに歩いても、農園には行き着かない。それ以来サクランボが実る季節になると、記憶を頼りに行ってみるのだが、未だに探し当てることができない、幻のサクランボ農園である。
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エッセイ7

   水分(みくま)り
                  広瀬弓

 二九 鷄頭山は早池峯の前面に立てる峻峯なり。麓の里にてはまた前薬師ともいう。天狗住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は掛けず。山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。きわめて無法者にて、鉞にて草を苅り鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞のみ多かりし人なり。ある時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。前にあまたの金銀をひろげたり。この男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。早池峯に登りたるが途に迷いて来たるなりと言えば、しからば送りてやるべしとて先に立ち、麓近き処まで来たり、眼を塞げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は、見えずなりたりという。
 水を求めて旅するようになった昨今の気持ちの顕れだろうか、今回『遠野物語』を読み返して、以前は「ざしきわらし」、「かっぱ」、「娘と馬」などの物語に隠されて読み飛ばしていた「地勢」の話に関心が向いた。
遠野は昔湖だったと言い伝えられていることや、遠野郷のトーはアイヌ語の湖という語から来ていて、七内矢崎や来内もナイという沢や谷を表すアイヌ語が使われているという記述に興味を覚えたのも、集落発祥の地や、聖地として祀られた場所には必ずと言ってよいほど湧き出す水の存在があると知ったからであった。
 平野の中心を流れる猿ヶ石川を遡っていくと早池峰山に当たる。北上高地の最高峰早池峰山は、東に剣ヶ峰、西に中岳、鶏頭山、毛無森を連ねた雄大な山容を持ち、古代から山岳信仰の霊場として人々の信仰を集めてきた。第二話「神の初」では最も秀でたる山、最も美しき山として神話で語られている。詩人で童話作家の宮澤賢治も、圧倒的な存在感や可憐な高山植物に魅せられ、多くの作品を残している。
 私が遠野を訪れようと思ったのは、湖だったと言い伝えの残る肥沃な盆地を作った猿ヶ石川の源流を辿りたい思いに駆られたのと、築地小学校で早池峰神楽東京公演を見たことが大きなきっかけと思う。
 岩手県花巻市に伝承される早池峰神楽は、早池峰神社に奉納する岳(たけ)神楽と大償(おおつぐない)神社に奉納する大償神楽の二つがある。いずれも早池峰山を霊場とする修験山伏たちによって代々舞い継がれてきたと言われ、祈祷の型などを神楽の中に取り入れていることから、「山伏神楽」とも呼ばれている。
 東京公演は築地小学校の体育館に二間半四方の注連縄を巡らし、楽屋と舞台の境に神楽幕を張って作られた神楽舞台で、鶏(とり)舞(まい)、三番叟(さんばそう)、山の神、天降り、権現舞など八つの演目が早池峰神楽保存会のメンバーによって行われた。珍しい面や衣装や道具の中でも特に際だつのは鳥兜だ。頂に雌雄の鶏の姿をした飾りがあり、兜の両側に大きな板(しころ板)が付いていて、蝶が羽をゆるやかに上下するように羽ばたいた。鶏舞はイザナギノミコトとイザナミノミコトの二神の舞を、鳥兜をつけた舞手が舞うものだった。鶏は昔から悪霊を払うと信じられているため、舞台の不浄を清める舞とも言われている。      
 引用した第二九話に「天狗住めりとて早池峯に登る者も決してこの山は掛けず」という記述がある。この山とは早池峰山と峰続きにある鶏頭山で、天狗が住むと脅して村人を遠ざけようとする何者かの意図を感じる。そこにはおいそれと会うことを許さない、あるいは触れられたくない存在があったのではないだろうか。神楽のシンボルである鳥兜は聖地としての鶏頭山を象徴しているようにも思えた。「山の神」に登場した舞手は鳥兜を付け赤い顔に金色の目と大ぶりの鼻をしていたが、天狗とは異なる面であった。山の神とはオオヤマズミノミコトのことで、春は里に降って農業の神となり、秋には山へ帰り山の神様になると言われている。そのため農業や林業に従事する人々や、神楽衆にとって、最も大事な演目だそうである。
 柳田国男は、山人とは日本列島に遥かな昔から生存を続けてきた先住異族の子孫と考え、伝説を収集していた。その山人の消息を遠野の伝承に見いだし『遠野物語』や『山の人生』に盛り込んだが、ついに実在証明を果たすことはできなかった。
これら早池峰神楽や山人の物語から辿り着いた鶏頭山を調べているうちに、中腹に七折の滝があるとわかり、水をもらいに行きたくなった二〇一〇年の夏、早池峰神社の向かいの宿坊に泊まり、翌朝一人鶏頭山の滝へ向かった。なだらかな山路をひたすら歩けば、人の姿に驚いた山鳥が、時折草叢から飛び出し林の中へ消えて行く他は、誰にも会わなかったし誰もいなかった。高さ約五十メートル、落下する流水が滝の途中に張り出した岩場にぶつかり対岸の壁にぶつかって幾重にも折れて滝壺に入ることから七折の滝と呼ばれる。その日、滝の三段目は勢いよく跳ね上がり、水量の多いことが見て取れた。水を汲みながら水源の分岐点には流水の分配をつかさどる水分りの神がいることを思い出していると、「ミクマリ・・・」滝の音に混じって風のような言葉を聞いた気がした。
 遠野神話ゆかりの地は天狗ならぬ龍神の気配に満ち満ちていた。
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