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『二兎』3号エッセイ1

『遠野物語』から各自好きな話を選んで書きました。番号は、本文引用部分です。 

    いかなる執着のありしにや
                徳弘康代

九九 土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。…清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、*先年の大津波に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女はまさしく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遙々と船越村の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はと見ればこれも同じ里の者にて津波の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物言うとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。            *明治二九年三陸大津波

七七 …おひで老人の息子亡くなりて葬式の夜…軒の雨落ちの石を枕にして仰臥したる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。月のある夜なればその光にて見るに、膝を立て口を開きてあり。この人大胆者にて足にて揺がしてみたれど少しも身じろぎせず。道を防げて外にせん方もなければ、ついにこれを跨ぎて家に帰りたり。次の朝行きて見ればもちろんその跡方もなく、また誰も外にこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と在りどころとは昨夜の見覚えの通りなり。この人曰く、手をかけてみたらばよかりしに、半ば恐ろしければただ足にて触れたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思い付かずと。

 去年の夏、母を訪ねた時、母がこの間珍しく私の夢を見たと言った。私が押し入れの中にいて、母が私に「なにしゆう(何してるの)」と言った、というものだった。母に会う数日前、私は引越しをして、押し入れの中に入って汗だくで掃除をしていたのを思い出した。それが母の夢に出てきたのだ。不思議なようでもあり、起こりそうなことでもあり、母子というのはそういうものかと思った。八二歳の母にはレビー小体型認知症の症状が出ていて、その特徴的なものに幻視がある。他の人には見えないものが、はっきりと見えるらしい。震災の後、母のところを訪れる母にしか見えない人たちがたくさんあった。毎夜、大人も子供も、老若男女、動物も虫も。子供がソファに寝ていったとか、男の人がそこを通ったとかいうもので、母はその人たちに夜中よく起こされていた。昼間でもやってきていたようで、特に虫はたくさん湧いて出た。
 遠野物語九九・七七は、この世にいないはずの人が現れる話である。この他にも二二・二三・七九・八一・八二等、幻と呼べそうなものが登場する。二三に「いかなる執着(しゅうじゃく)のありしにや」と記されているが、この執着は死んだ人の方にあるのか、生きている人の方にあるのか、それとも相互にだろうか。思いを強く残した人がそれを発して、何かの気配を知る感覚、あるいは「症状」といわれるものを持っている人がそれを汲むのだろうか。大きな災害の後でこの世という私たちの社会があの世にいる人々への強い執着であの世の人々と呼び合い続けているのか、それが一八九七年に起きたように二〇一二年にも起きているのかもしれない。生きていた柳田がこの話を書きとめ、今生きている私たちがそれを読む。もう少しすればみんなあちら側だけれど、こちら側の人への執着が文字という記憶になって遺されている。
 たまに、あの世とこの世のあわいを行き来できる人がいる。その人たちには、あちらとこちらの境目辺り、そのどちらにあるか定かではない人たち、生きものたちの執着が見える。その人たちの「ここ」は、あの世でもあり、この世でもある。あの世とこの世はともにここにある。その近さ、あるいは同一感が遠野の世界のように思える。七七の石を枕に寝ている男は月明かりに妙にリアルで、母が私に話す「昨夜あった人」もいつも妙に現実的だ。九九の男女は、生き残った男の死んだ人への執着が見た幻覚なのだろうか。その幻覚は男を暫く煩わせ、その後現実へと向かわせる意味をもつものだったのかもしれない。それにしてもリアルな、この世でもそのまま起きそうな出来事は、津波で失ったものを近くに感じる人々と、亡くなった人々の魂が同じところにあるという気持ちを起こさせる。
 最近母を悩ませているのは二人の男の子で、その子たちの保育園の園長さんにその子たちがここにいることを知らせたいと母は言う。子供たちが助けを求めているというのだ。それを周囲の人に言ってまわっている。母は真剣だ。玄関から入ってきたのではない人たちのことは普通の人には見えないのだから、そのことを話すとお母さんが変に思われるだけ、その子たちはお母さんが助けるしかない、と言うと、どうやって、と聞かれた。天国へ行くように、成仏するように言ってあげられるのは、その子たちと話せるお母さんだけ、と母にこたえて涙が出た。
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