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エッセイ3

  恋の行方はオシラサマ考
          福井すみ代


 六九 今の土淵村には大同という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞という。この人の義母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落としなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。ある夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きいたりしを、父はこれを悪みて斧をもって後より馬の首を切り落とせしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマというはこの時よりなりたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。・・・
 九月の下旬に訪れた遠野は、鮮やかな黄一色の稲穂、
群青色の山々が遠野を包み、穏やかな佇まいだった。
 東日本大震災後、数カ月経ていたので、一見平穏なように見えたが、遠野の宿泊所「たかむろ水光園」への坂道は壊れ、遠回りして行った。宿泊の建物と配水所の間には大きな鉄板が敷いてあった。
 私が行った直前まで園は自衛隊の宿泊所になり、早朝の食事の準備から、夜半まで多忙の日々が続いたとのことであった。
 遠野の市街は、「遠野物語発刊一〇〇周年」の平成二十二年の直後の年という事もあり、各施設はとても、充実し、工夫されていた。
 遠野市立博物館では、特に遠野物語についての行き届いた展示がなされていたほか、水木しげるが描いた
新作アニメ「遠野物語」が上映されていた。物語の代表的話である「オシラサマ」と「河童」の二作品である。色彩の美しさと、映像の巧みな運びで物語は生き生きと展開していった。 また、伝承園の御蚕神堂(オシラ堂)では、さまざまな千体ものオシラサマが展示されており、圧倒された。
 遠野物語六十九話は、オシラサマの起源説話として有名な、娘と馬の愛情物語で、私が田舎(静岡県)に疎開した時、似たような話を、祖母から聞いたので、とても興味を持っていた。この類話はすでに古く中国でまとめられた「捜神記」という説話集に収められている。こちらは大官の娘が馬に冗談に話した事を馬が真に受けとった物語であるのに対し、遠野物語では、貧しき百姓の娘がその家に一匹しかいない馬を真剣に愛し、夫婦になったという悲恋物語である。娘は死んだ馬の首に乗って天に昇って、オシラサマになったと書かれている。捜神記では、数日後に庭の桑の大木の枝の上で娘と馬が発見され、どちらも蚕と化して、糸を吐いていたと書かれている。
 柳田国男は、佐々木喜善から聞いた話をそのまま簡潔に叙している。説話の記録としての文は優れていると思うが、いかにも説明不足で、物足りなく感じる。
 柳田は遠野物語刊行後も遠野に関心を持ち続け、佐々木喜善に遠野譚の収集を奨めた。佐々木は多くの事実・話を集めた。しかしその発表は遅れに遅れ、佐々木の死後の昭和十年になって、その拾遺二九九話を付した「遠野物語増補版」が出版された。
 拾遺の中でもオシラサマの話は重視され十一話に及んでいる。その中でオシラサマの神体は男・女二体のものが多いが、もっと多数のものもあること、頭の形も,丸頭のもの、烏帽子を付けたものなどの外、馬頭形のものも少なくないことなどが書かれている。
 オシラサマの由来についても三例述べているが、その中に、父が馬を殺したのを見て、娘が悲しんで、私はこれから出ていくが、父が後に残って困ることが無いようにしておく。三月十六日の朝、庭の臼の中を見ろと言って娘は馬と共に天上に飛び去った。其の日になって臼の中を見ると、馬の頭をした白い虫がわいていた。それを桑の葉で養い育てたというものである。
娘が悲しむと共に父の生活の事を思いやるという、感動的な養蚕起源神話である。後世の人がオシラサマを信仰するのが当然と想わせるような話と思う。
 柳田は更に戦後の昭和二十六年になって、オシラサマ研究の集大成ともいうべき「大白神考」を出版している。更に其の後になっても自分の説の修正について語っている。其の関心の深さに驚くばかりである。柳田は、それほどオシラサマを重要な問題と考え魅力的なテーマと思ったのであろう。
私も庶民の家の神オシラサマを見て非常に惹き付けられた。それだけに逆に、あまりに明るく立派な建物の中で、例外的に大きく、素晴らしく豪華なオセンダクを着けたオシラサマが、常時陳列されていたり、数の多さを誇るような収集をして、一堂で展示がなされていたのに対して、どうも違和感を覚えてしまう。
オシラサマは気難しくて扱いにくい神かもしれないが、各々の家で祀られるのが最も好ましいと思う。 そのようにする環境造りをする施策が望ましい。
遠野は曲がり屋が多く、一つ屋根の下で人と馬が共に暮らし、養蚕もした独特の文化を持つ地域で、オシラサマ信仰の最も相応しい土地だと信じている。
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