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エッセイ7

   水分(みくま)り
                  広瀬弓

 二九 鷄頭山は早池峯の前面に立てる峻峯なり。麓の里にてはまた前薬師ともいう。天狗住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は掛けず。山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。きわめて無法者にて、鉞にて草を苅り鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞のみ多かりし人なり。ある時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。前にあまたの金銀をひろげたり。この男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。早池峯に登りたるが途に迷いて来たるなりと言えば、しからば送りてやるべしとて先に立ち、麓近き処まで来たり、眼を塞げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は、見えずなりたりという。
 水を求めて旅するようになった昨今の気持ちの顕れだろうか、今回『遠野物語』を読み返して、以前は「ざしきわらし」、「かっぱ」、「娘と馬」などの物語に隠されて読み飛ばしていた「地勢」の話に関心が向いた。
遠野は昔湖だったと言い伝えられていることや、遠野郷のトーはアイヌ語の湖という語から来ていて、七内矢崎や来内もナイという沢や谷を表すアイヌ語が使われているという記述に興味を覚えたのも、集落発祥の地や、聖地として祀られた場所には必ずと言ってよいほど湧き出す水の存在があると知ったからであった。
 平野の中心を流れる猿ヶ石川を遡っていくと早池峰山に当たる。北上高地の最高峰早池峰山は、東に剣ヶ峰、西に中岳、鶏頭山、毛無森を連ねた雄大な山容を持ち、古代から山岳信仰の霊場として人々の信仰を集めてきた。第二話「神の初」では最も秀でたる山、最も美しき山として神話で語られている。詩人で童話作家の宮澤賢治も、圧倒的な存在感や可憐な高山植物に魅せられ、多くの作品を残している。
 私が遠野を訪れようと思ったのは、湖だったと言い伝えの残る肥沃な盆地を作った猿ヶ石川の源流を辿りたい思いに駆られたのと、築地小学校で早池峰神楽東京公演を見たことが大きなきっかけと思う。
 岩手県花巻市に伝承される早池峰神楽は、早池峰神社に奉納する岳(たけ)神楽と大償(おおつぐない)神社に奉納する大償神楽の二つがある。いずれも早池峰山を霊場とする修験山伏たちによって代々舞い継がれてきたと言われ、祈祷の型などを神楽の中に取り入れていることから、「山伏神楽」とも呼ばれている。
 東京公演は築地小学校の体育館に二間半四方の注連縄を巡らし、楽屋と舞台の境に神楽幕を張って作られた神楽舞台で、鶏(とり)舞(まい)、三番叟(さんばそう)、山の神、天降り、権現舞など八つの演目が早池峰神楽保存会のメンバーによって行われた。珍しい面や衣装や道具の中でも特に際だつのは鳥兜だ。頂に雌雄の鶏の姿をした飾りがあり、兜の両側に大きな板(しころ板)が付いていて、蝶が羽をゆるやかに上下するように羽ばたいた。鶏舞はイザナギノミコトとイザナミノミコトの二神の舞を、鳥兜をつけた舞手が舞うものだった。鶏は昔から悪霊を払うと信じられているため、舞台の不浄を清める舞とも言われている。      
 引用した第二九話に「天狗住めりとて早池峯に登る者も決してこの山は掛けず」という記述がある。この山とは早池峰山と峰続きにある鶏頭山で、天狗が住むと脅して村人を遠ざけようとする何者かの意図を感じる。そこにはおいそれと会うことを許さない、あるいは触れられたくない存在があったのではないだろうか。神楽のシンボルである鳥兜は聖地としての鶏頭山を象徴しているようにも思えた。「山の神」に登場した舞手は鳥兜を付け赤い顔に金色の目と大ぶりの鼻をしていたが、天狗とは異なる面であった。山の神とはオオヤマズミノミコトのことで、春は里に降って農業の神となり、秋には山へ帰り山の神様になると言われている。そのため農業や林業に従事する人々や、神楽衆にとって、最も大事な演目だそうである。
 柳田国男は、山人とは日本列島に遥かな昔から生存を続けてきた先住異族の子孫と考え、伝説を収集していた。その山人の消息を遠野の伝承に見いだし『遠野物語』や『山の人生』に盛り込んだが、ついに実在証明を果たすことはできなかった。
これら早池峰神楽や山人の物語から辿り着いた鶏頭山を調べているうちに、中腹に七折の滝があるとわかり、水をもらいに行きたくなった二〇一〇年の夏、早池峰神社の向かいの宿坊に泊まり、翌朝一人鶏頭山の滝へ向かった。なだらかな山路をひたすら歩けば、人の姿に驚いた山鳥が、時折草叢から飛び出し林の中へ消えて行く他は、誰にも会わなかったし誰もいなかった。高さ約五十メートル、落下する流水が滝の途中に張り出した岩場にぶつかり対岸の壁にぶつかって幾重にも折れて滝壺に入ることから七折の滝と呼ばれる。その日、滝の三段目は勢いよく跳ね上がり、水量の多いことが見て取れた。水を汲みながら水源の分岐点には流水の分配をつかさどる水分りの神がいることを思い出していると、「ミクマリ・・・」滝の音に混じって風のような言葉を聞いた気がした。
 遠野神話ゆかりの地は天狗ならぬ龍神の気配に満ち満ちていた。
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