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『K』という本

 三木卓の『K』を読んだ。Kなるキャラのおかしさとそれに対応する作者の動きがこれまたおかしくて一気に読んでしまった。おかしさというか哀しさである。三木は死んだ妻Kを(うちの母ちゃん)とか(女房)という風には書けないという。それは共同生活者だが自分を立ち入らせないとこがあるからよく分からない、それで「ぼくは困った」といっているけど、どうして?誰とも共有できない深く閉ざされたものは誰だって持っているだろうし、それにお互いあまり考えていることが分かってしまったら一緒になんて住めない。分かるなんて幻想だよと思ったが、Kの場合そんなレベルではないことがすぐ分かる。いっしょに住み始めて最初の事件が起きる。お風呂、今夜わかしといてくれないかと言って夫は出勤。そして戻ってくると家は真っ暗で置き手紙。Kは友だちの家に家出中。友だちは、Kがお風呂わかしたことがないのかもと言うけど夫は理解できない。それはそうでしょう。それで、もしかしてだけど男性って夫の立場になったとき、なんていうか、いばってるわけでもないが、当然といった物言いをする傾向があるから、そんなところで傷ついたのかもしれない。普通一般の女子なら、そんな気配を感じてもそんなものかと思い、このやろうと思っても、家出するまでの強い動機にはたぶんならない(私も耐え忍ぶ?)。
 Kは詩人の福井桂子。夫の三木は彼女の詩集を出し、生活費はちゃんと渡し、育児に関しても言いたい事をぐっと我慢をして、なかなかよくできた夫だ。それなのにある日電話でKは「あなたに家へ帰ってきてほしくないの」という。もちろん不倫とかではない。理由にならないような理由はあるが、ここまでくると普通の夫なら怒るだろう。しかし三木は彼女のいうとおりに振る舞う。このあたりのかけひきはおもしろい。お年とりの晩だけは帰るがこれもKからの要望。三木は、「Kは詩人として自らを立たせることを望んだ。そうなるためには、この家で自分のしたいようにふるまえることがなんといっても、大切」と書いている。なんだか理解できるだけに、書くという事はつくづく難儀なことだと思う。
  Kは第一詩集のあとがき(一部)にこう書いている。
「わたしたちのひとしく生を受けているこの時代に、もしもわたし自身の感受していることを完璧に表現しおおす詩、詩人をもつことができるなら、怠惰なわたしはけっして自分で詩を書こうとはしないでしょう。ほんとうに、わたしはそのような詩また詩集をもったと思えたとき、二七歳のころ詩を書くのをしぜんにやめました。しかし日々の営みのなかで、わたしはわたしでしかないというおそろしく単純なことに、再び気づかなければなりませんでした。そしてまたぼそぼそと、詩を書きだしました。」
 詩人気質の強いKの愛すべき性格と困ったチャンの振る舞い、それを見る三木の冷静な目が、この本を生き生きとおもしろくさせている。
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