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八手

     八手
          弓田弓子
  
 地平線に向けて願い事が多く合掌するてのひらの
 指が増えて八手に成長していく この八手をどう
 するべきか 八手の葉を切り落とすくふうでじっ
 とかれらをみつめるものだから 葉の先が変色し
 てきた 葉の中に震える人物が潜んでいるかのよ
 うに ときに物音を立てる葉に出会い 驚かされ
 るがここには長い年月だれも潜んでいたりしない
 葉の中のだれかを救いだすために 入り組んだそ
 の道筋などたどってみたが やはりここにはだれ
 もいないのだ

 八手の葉を切り落とせば落とすほど柔らかいしわ
 くちゃな 小さな赤子の手を密かに増やし 深い
 家族の かたい葉のかたまりを守るためにいっそ
 う葉の指を広げ中味を覆っている 黄白色の五弁
 の花にまでたどりつけずにそのまま腐っていく柔
 らかい葉を 激しい日差しを避けて かれらは互
 いにあおりあおり ぐったりしたまま陽が落ちる
 までろうどうしている 葉の陰で 炭酸同化作用
 を調べているとかれらの広げたてのひらが更に指
 を増やしていく

弓田弓子さんの詩はいつも魅力的だ。ひとくせもふたくせもある。思いもよらないところからぬっと手がでてくるようで怖い。ごく身近な媒体からとんでもない異空間に連れ去られるのだ。ちょっとどころか多いに不気味だがやさしさがある。怖いものみたさかな、弓田さんから詩誌が送られてくるとわくわくする。「八手」は『ゆんで』3号から。
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怖いはなしの語り

夏だからということでもないが、岡本綺堂訳の『世界怪談名作集』を読んだ。昭和4年改造社から刊行された『世界大衆文學全集』35巻の復刻版である。今は河出文庫(上下)で読める。
岡本綺堂というと半七捕物帳と怪談話と漠然と思っていたので、翻訳もの?と一瞬、本の前で立ち止まってしまった。もっとも岡本綺堂が古今東西の怪奇小説に目を通していたというのは有名らしいけど。すごいなあと思って(何がすごいんだか分からないけど)読みはじめたら、ひとつひとつの短篇のよくできていること・・・・そりゃそうでしょう!デッケンズ、デフォー、ホーソーン、モーパッサン等、超有名人ばかりがぞろぞろ(だからといっておもしろいという保証はないけど)綺堂先生の選ばれた話はどれもおもしろい。「世界の怪談を自家薬籠中のものとし、自らの作品と変わりない文体で日本語へと移した綺堂の古典的怪談アンソロジー」である。読みながら、作家さんみんなもう亡くなってる(あたりまえといえばあたりまえだけど)ということに気がついて何かすごく不思議な感じがした。今生きてるのは私だけ。作中の人物だってもう死んでるし、と思うとうーん私はどこにいればいい?みたいな感じ。それから怪談の文化の違い、私はどうも日本の怪談は苦手だけど、外国物だと結構楽しめる。レトロな家の感じも幽霊さんも。距離があるからかもしれないけど。二冊1000円ちょっとで、とても楽しめた。
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思うこと

『詩と思想』8月号は沖縄の名詩特集を組んでいる。沖縄に住んでいる詩人の作品をこんなにまとめて読んだのは初めてだ。山之口貘や花田英三、そのほか2、3名何となく読んだことはあったが、沖縄という土地柄を意識して読んだことはなかった。編集後記で佐川亜紀さんはこう述べている。「沖縄の詩に満ちる海光と生命の言葉は根源的力を感じさせる。「日本」は縮みの文化と言われるが、島から宇宙に天翔ける想像力は枠を超えている。しかし、「日本全土」が沖縄に強いてきた歴史的な抑圧、沖縄戦の過酷さ、米軍基地の脅威は、生活と文化をおびやかしてきた。沖縄詩の鋭い批判性と怒りをこめた叙事詩は本土を絶えず打ち、問うものである・・・・・・・・・」と。それで 最近読んだ熊本の杉本一男さんの『坑の中から 鼓動が』を思いだした。6冊目の炭坑詩集であり、リアルタイムで書き継いでこられた。炭坑という世界での労働者の命と暮らし、炭函を曵く馬たちの歴史などが書かれている。私にとって「炭坑」も「沖縄」も教科書的な知識だけで知らない世界だ。しかし詩というかたちで個人から発信された、これら哀しみや怒り、理不尽さや驚きは、心に何とストレートに伝わってくるのだろうと思った。
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ミニトマト

P1010702.JPG 今年、我が家のキュウリは全然ダメです。雨のせいにしてるけど、ともだちんちのキュウリはうらやましいほど元気がいいです。うちで元気がいいのは唐辛子ぐらい。チソとバジルはまあまあ。トマトは中玉とミニの苗を数本。あまり甘くないけど、そこそこの収穫はあります。写真は今日の収穫。
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爆笑

      爆笑
         福島敦子
  くす玉は割れる
  どわぁぁっっっ!
  とわく声は響いて
  立ち上がり 押し寄せて
  行ったっきり
  くすくすくすくすくす…
  引き返しているのか
  また押し寄せているのか
  花びらがひらひら落ちてくる
  落ちてきたと思ったら舞いあがる
  突然 晴れわたった空に放り出される
  ひとりなのにみんながいるところ
  あの笑い声 ではなく もう音
  爆音!
  響きわたる
  のどに おなかに
  腕にふくらはぎに 胸に…

  ひかりのはしらがすっと差し まぶしい

佐藤真里子さんからこんな詩があるよと教えてもらった。『tab』という詩誌だそうだ。なんだか読んでいるとすかっとしてくる。青い空にでっかいくす玉ぱあんと割れて、あたり一面花園で、もうぐちぐちしたことなんかどうでもいいよみたいな感じになる。一行あけて、最後の言葉がとてもいい。元気いただき!みたいで心地よい。
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『くり屋』50号から

木村恭子さんは『くり屋』という小さな個人詩誌を出されている。この小さなというのは、詩誌の大きさのことで、もちろん内容のことではない(あたりまえでした)。たいがい身近なところから物語は始まるのだが、気がつくと迷路につれこまれているというパターンが多い。それも超近代国家的迷路ではなく、時代設定なしの一見長屋風である。あっヒト!みたいな感じ。と、わけの分からないことを書いているが、簡単に言っちゃえば、木村さんの作品はどれ読んでもおもしろい。ぱかっと明かりを灯してくれる。それで今日『くり屋』50号がきたので、その中から一番短いのをひとつ。(迷路はちょっと長いので)

      隣       木村恭子

  その家の玄関に初めて立った時 隣家の厠の窓がガシャンと開き
  誰や?何の用や? と怒鳴った 素性を言うと ピシャッと窓を
  閉めた

  その次 にわか雨に気づかないでいると 勝手口にステテコで現
  れ「おいっ 洗濯もん」と怒鳴り 何か短く言い足して帰って行
  った 勝手口といえば 捕れたての魚をぶらさげて立っていたこ
  とも 何度かある 「食わしちゃってくれえや」

  次 祭りの週には紙垂を配りにやって来た 受け取ってから ハ
  テ これも仕事の範疇であろうか否かと 白い紙を見つめている
  と 「やりかたも知らんのんか 何でもできにゃあ おえりゃあ
  すまあが」 さっとそれを奪い 以来毎年 町内会の張り巡らし
  た生垣の注連縄には いつの間にか 紙垂が飾られていたものだ

  その次は ダイニッポンカブシキガイシャ(自称)がやって来て
  屋根瓦の点検をさせよとしつこく言いつのった時だ 閉口してい
  ると ダイニッポンの背後から 「その人にゃあ 何言うても分
  からんどお 他にゃあ誰もおらん」と隣が大声をあげた 「なん
  なら人を呼ぼうか」とも言っていたが けだし この場合の(人)
  とは 警察の別称であろう

  次の年 その家の人は亡くなった 革の靴を履いて告別式に行く
  と 隣がダブルの式服をりゅうと着こなして 受付に座っていた
  お香典を渡し住所氏名を書き <親族><友人><会社等関係者>
  <その他>の どれに◯をつけようと思っていると「その他じゃ
  ろおがあ」と 小声で言った

  次に式が始まり 隣と<その他>は もう会うこともなかった 
  
  
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すぎゆくアダモ

最近読んだ本で、辻まことの『すぎゆくアダモ』がとてもよかった。辻まことは、何となく名前を聞いたことあるなという程度だったので、ダダイズムの辻潤と婦人解放運動家の伊藤野枝の子どもだと知ってびっくりした。理由はきっと伊藤野枝にある。平塚らいてうの『青鞜』での活動、関東大震災の混乱下、大杉栄と共に憲兵につかまり虐殺という生涯に関心を持っていたことが昔あったから、それを思いだした。といっても表面だけの知識でしかなかったけど。でもそんな情報など関係なくこの本は素晴らしかった。12葉の線画と12章の文。少年アダモは夏休みを海岸にある叔父のアダエモン氏のところで過ごすことになった。イスミ川の小さな河口から舟ででかける。そしてお話は始まるが、内容を紹介するのはとてもむつかしい。うなぎが山芋になる、そういう場所の方角へいくとアダモはいう。おじいさんは「・・・私も元気なら一緒にいくんだがね、山芋のようなうなぎ、うなぎのような山芋はいくらもここを通る。ようなものばかりが川を登ったり下ったりする。けれども本物のうなぎも山芋もめったに通らない。まして山芋になれるうなぎなどこのサツは全く絶えたね。ずいぶんと久しく見ないがね。種を超えて等価される個体の住む地方は在りそうだ。けれど景色は想像できかねるな、この私には」アダモはでかける。アダモは「忘れられるのが嬉しいような子」なんだか理屈っぽいとこを引用してしまったみたい。うなぎはどこまでいってもうなぎだというおじいさんの息子、だから電車やバスでいったほうが早いという。それに対してアダモは、電車やバスも行かないようなところ、うなぎが山芋になるとこに行きたいという。おじいさんはアダモを鮭のようだといい、アダモは自分はヒトのようだと感じているという。彼はどんどん透明になっていく。引用したいとこだらけで何回でも読みたい気持にさせられる。それにしてもアダモは年寄りのような子、おじいさんもいっていた。
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ちいさなぶーけを

P1010692.JPG暑いので造花でブーケつくりました。25センチにも満たない小さなブーケ。ナチュラルステムをいかす感じでワイアリングしました。白っていい色だなあとつくづく思います。
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ハハとねことあぶら蝉

 一昨日の続きだが、「からだの声をきく」をテーマにして書かれた作品はどれもおもしろい。女性ばかりなので男性と比較できないのは残念だけど、1篇紹介したい。 

   ハハとねことあぶら蝉
         岡田清子

 ハハはともだちのおばあさんのおくやみにでかけ
 台所の床にはりついていた
 まっくろなねこをふんでころびました
 ねこは
 にゃおとないたからだいじょうぶ
 ふにゃとしてなまぬるかった
 などといいながら
 ちかごろ目がわるくなってと
 眼鏡のしたからちいさな目を
 こすってみせました
 ハハは秋になると八十才になる
 妹は
 七年前さくらの花びらのなかに笑うように
 両手をひろげていってしまいました
 からだじゅうの毛あなから水がこぼれ
 タオルをあててもあてても
 水はだまったままするすると通りぬけて
 私の手をぬらしました

 あぶら蝉がバランスをくずして
 地面におちてきます
 手足を胸にたたんで
 死んだまねをして
 まねをして一日たって

 ハハは足の裏にねこがひっついている
 ともう一時間
 足をあらっています
 あぶら蝉をふんだことは
 まるでおぼえてないのです
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ジャック&ベティー

P1010689.JPG豆の木があっというまに2倍の高さになった。確かに成長が早い。それで名前をつけた。すらっとした感じのほうをジャック。白い植木鉢(それにしても汚いなあ)。茶っぽいほうがベティーである。外に出しっ放しで一日1回は水やりしているせいか、しょぼんとした感じになったことはまだない。暑さに強い。色つやよく風に吹かれている。
ここ数日、ギリシャ神話を読んでいた。こう暑い日が続くと、ひきこもりになってしまう。食事の支度と洗濯と水やりぐらい。体調くずしたら損しちゃうと自己弁護している。神話系はもともと好きだった。あまり考えたことはないが、記憶の最初にある本はギリシャ神話のような気がする。アトラスやペルセウスやヘラクレスや、その場面の絵が思いだされる。昔々、脳のすみにインプットされた絵である。両腕で天をささえているアトラスの絵の下には、助けを求めてさわぐから地震が起きると書いてあった。明るくて華麗な世界と一言でいってしまうのは乱暴だけど、これほどエロスがうずまいている世界も珍しいのでは?なんて思った。簡単な描写ゆえに果てしなくふくらむ。子どもの頃は英雄にあこがれていたけど、今回読んでみて、登場してくる女(性)性に惹かれた。混沌の中からあらわれ、すべてのものの母になった大地の女神ガイアの母性もすごいが、王女メディア(彼女は伯母にあたる魔女キルケから秘法の魔術を教え込まれている)のパワーに圧倒された。愛した男イアソンをどんな残酷なことをしてでもに守っていく。最後には徹底的な復讐というかたちをとりながら、イアソンの命だけは守る。この世で愛した、ただ1人の男イアソンには、自分がいない世の中がどんなに味気ないか思い知らせてやるのである・・・・おそるべし! でもワカルカモ。
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