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ソワレイ

P1010851.JPG

     ソワレイ                                            木下夕爾(1914-1965)

      1
 罠にかかった獣のやうに
 夕暮は戸口に来て
 すわっている
 わらくづほどの光をつれて

 あ 乾草いろの月がのぼった
 少年たちは
 ハモニカのやうに
 たうもろこしの実をくはへて
 紫蘇畑の方へ出てゆく

      2
 ゆふぐれが来て美しい網をひろげる
 そして捕へる まだあそんでいる子供たちを
 エエテルのやうに 空気は軽くいい匂ひがする
 僕は木かげの石に腰かける
 それはさつきまで夏が抱いてあたためていた白い卵のようだ
 あたりにすずしい時間が立止る
 僕はおとなしい家畜の眼をする
 樹脂が流れる方へ向つて 僕の耳はひらかれる
 遠い沼がマグネシウムのやうに光つている・・・・・・


 この詩を読むと、どこかなつかしい気持ちにさせられてしまう。淡いものがゆるやかに流れていて、とても美しい。
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内面への道

P1010847.JPG
トクサ10本と水仙のアレンジ ぐるぐるっとまいてあるのは、トクサにワイヤーを入れて作ったもの。スイトピーとか明るいものも入れると、もっと華やかになるかな!!!
 16才のアルバムにこんな詩が書いてあった。当時はもちろん大真面目なんだろうけど、何考えてたんだろうねえ!と人ごとのように思う今日この頃。
  
      内面への道
           ヘルマン・ヘッセ

 内面への道を見出したものには、
 熱烈な自己沈潜のうちに、
 知恵の核心を、つまりは、
 自分の心は、神と世界を、形象として比喩として
 選ぶに過ぎぬ、ということをほのかに感じるものには、
 すべての行為と思考とは、
 世界と神とを含む
 自己の魂との対話となる。
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老年

P1010846.JPGレモン3個使っての早春のアレンジです。
尾世川正明さんが1980年に出された詩集『花をめぐる神話』のなかに「老年」という詩があります。こんな旅にそのうち出れたらいいなと思っています。そのために今すこしずつ準備しています。
       老年
            尾世川 正明

  いつかある日、老いて背骨がきしみ、顔に
 は汚いしみが浮き、髪も落ち、白ぞこひに瞳
 もくもり、人々が私を腐肉を見るように嫌う
 とき、私は日々を託した習慣を逃れ、残され
 た自負を捨てて旅に出ることができるだろう。
  からだは町に縛られていようとも、こころ
 は全く見知らぬ方角へ、黙々として歩み去り、
 そのまま戻ってこないだろう。どこか遠い海
 辺に立って、石板に無意味な文字を刻みつけ、
 森に住み、葉脈の不吉な模様も読むだろう。
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ヤマと狐(医師と見舞客)

南川隆雄さんの個人詩誌『胚』36号のずいひつ欄に「狐のお医者」という話があった。出所は昨年復刻された画文集『炭坑(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』。この画文集は、著者の山本作兵衛が記録した炭坑の絵画、日記、ノートであり、ユネスコ認定の「世界記憶遺産」として日本では初めて登録されたものである。実は私も買っていて、この狐の絵と話はとても印象に残っていた。明治32年秋、作兵衛の住んでいた藁葺き納屋の壁一重裏隣の家の主人がガス爆発で全身やけどを負った。奇跡的に病状は好転しはじめたので、ほっとしてるときに不可思議な事件がおこる。ある夜おそくヤマのものじゃという集団がやってきた。二人医者もいる。乳飲み子を抱いた女たちや男たちが口々に災難の悔やみをのべ、医者が自分が治療すればよくなるといって包帯をはずし焼きただれた皮をむきはじめた。これではやくよくなるだろうと女房に言って夜明け前にはひきあげた。女房も寝不足の疲れがあってかうつらうつらして朝目が覚めるともう主人の体は冷たくなっていたという話だが、これが狐のしわざであったらしい。狐はガス焼け患者の火傷の皮が大好物で皮のためならどんなひどいことでもするらしい。絵を見ると狐が着物を着て座っている。しっぽもふさふさとでている。どうして気が付かなかったのだろうと思うかもしれないが、安物のランプひとつの暗いへや、女房は目が悪く、主人の弟は完全な盲人、あとは4才の女児がいただけである。麻は魔除けの力があるので、ガス焼け患者がでると冬でも麻の蚊帳を吊って寝かせるそうだが、それもしてなかった。それとこういう場合、黒豆を煮ておいて見舞客にはかならずその豆を手の腹にのせるそうだ。狐にはできないからである。それと狐は敷居をまたいだり座敷にあがるとき人間のように片足ずつができなくて両足一緒にとびあがるそうだが、目の悪い女房には判別つかなかったのだろう。「一寸眉唾ものだが実際にあったことだから致方がない」と作兵衛は書いている。
炭坑の問題は、きっかけのせいにしてはいけないが、あまり関心をもったことはなかった。それが数年前に、荒尾市の杉本一男さんから詩集『消せない坑への道』を読ませていただいて、その現実にびっくりしてしまった。といっても何ができるわけでもないが、頭の隅にはいつもあって、この画文集はすっと手にとっていた。この詩集はうれしいことに、第34回坪井繁治賞を受賞されている。杉本さんの年賀状(公開してすいません)には筆でこう書かれていた。  
  命を壊し  心を裂き  体に突き刺さる  ときが過ぎ   地の底の
  うたが聞える   龍よ   飛べ    よみがえれ  海よ山よ
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公園ニ咲ク花

今日は「公園ニ咲ク花」を読んで、びっくりした。平林敏彦さんの『戦中戦後詩的時代の証言1935-1955』に引用されていたのだが、斬新な言葉の使いかたにかたまってしまった。戦後の社会風俗を書いたこの詩は1945年12月5日付神奈川新聞に掲載されたものである。当時の様子を平林さんはこのように書いている。「・・・入社した当時からぼくがやりたかったのは文化欄だった。はからずもそのきっかけになったのが、未知の読者からの投稿である。手作りのものらしい祖末な封筒に入れた原稿を開封したデスクが、さして興味もなさそうな顔でこういった。「平林君、こりゃきみの領域だな。詩だよ、意味はわからんが読んでみたらどう?判断はきみにまかせるから」、「へえ、詩ですかあ?」とぼくは失望させられることも予想して、はんぱな返事をした。それがハンパじゃなかったのである。」とある。敗戦のわずか3か月後である。当時の状況を考えれば、モダニズム的手法で書かれたものすごい詩(モダニズムがすごいということではなくて)が投稿されてきたということであろうが。そんな時代とは関係なくとても心惹かれている。たぶん読んだのは初めてではない(と思う)。それなのに今日なにしろ気になるのである。詩とは不思議ないきものである。

     公園ニ咲ク花
             富塚漢作(中島可一郎)

 公園ノ花々ハ冷タイ。
 初冬の霜ノさかづきクミホシ
 風ニ背中ヲ打タセテイル。

  ア チュウインガム

 唇ハびろうどノヤウニ濁リ。
 腕ハかはたれ色ニヒカッテイル。

  ア チョコレート。

 気マグレナ黒髪ノ噴水達。
 小熊ノヤウニ物慾シサウナ黒水晶。

  ア ドロップス。

 妙ナアクセントガ咲イタリ萎ンダリスル。
 勲章ノヤウニ胸ノ刺しうガ伸ビ縮ミスル。

  ア ラヴユー。

 公園ノ花々ハ冷タイ
 初冬ニはるノ附文モラヒ
 日向ニ目尻ヲ焦ガシテイル。

        *本文のイの表記は昔のイ

  
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新年

 あけましておめでとうございます
元日は毎年、親戚ごちゃごちゃで過ぎてしまう。のんびりするのは二日から。箱根駅伝を見ながらうろうろといった感じだけど、今朝は訃報がとびこんできた。それほど近くにいた人ではないけど、昨日ふっと思い出していた。ほんとに一瞬だったけど。やはり寂しいものがある。今年は少しでも良い光がみえますように。

    新年      
            小柳玲子  
   ー昨秋、父を亡くした。元旦、墓参に立ち寄ったら結構楽しそうであった。安心した。

 「やあやあ、久しぶりだな。元気か?正月だ、おめでと
 う、おめでとう。幾つになった?」
 ー九十と十か月だよ、おまえ。ところでそっちは幾つに
 なった?
 「おれ?おれは二十さ。永遠のハタチだ」
 ーそうか、ハタチか。おまえはそのあたりで死んだもの
 な。永遠もへちまもない。あたりまえだ。いや、新年おめ
 でとう。
 「で、おまえの愛らしい奥方はどうした、元気か?」
 ー八十六だ。愛らしくない、梅ぼしばあさんだ。ぼけ
 ていて困る。去年は焚き火で百万円燃やして、手をあたた
 めた。
 「そうか。人間はみんなボケる。フリージアのようだった
 お嬢ちゃんたちは相変わらずかね?」
 ー一度もフリージアのようではなかった娘たちもみんな
 ばあさんになった。そのまた子どもたちもオヤジとオバン
 だ。
 「歳月は待ってくれない。仕方なし。おれは永遠のハタチ
 で・・・悪いな」
 ーハタチ、ハタチとうるさい奴だな。ところで正月から
 なにをしている、こんな所で。
 「そうだ、最近おまえのいとこのいとこが死んだという噂
 だ。おれは昔逢ったことがある奴なんで、迎えにきてやっ
 たんだ。結構ここも道が複雑なんだよ。おまえのいとこの
 いとこに逢わなかったか?」
 ーおれのいとこはおまえで、そのいとこはおれだ。簡単 
 なことをややこしくいうな。
 「そうか。おまえのいとこのいとこはおまえか。ずいぶん
 老けたな。九十と十か月か。老けても仕方ないか。おれは
 ハタチだ。悪いな。いやよくきてくれた。正月だ。まず
 はめでたいおめでとう、あけましておめでとう!」

         詩集『さんま夕焼け』から
   (ー昨秋 のところは小文字で二行書きだが、表示できなかった)
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